世界三大ピアノのある多治見で「音楽でまちづくり」 本物の音楽で人と文化を育む 調律師・堀江博行
多治見市前畑町にあるサロン「アートスペース・ホリエ」を運営する調律師・堀江博行さん。まちを音楽で活気を生み出すべく、長年まちづくりに尽力しています。
多治見市内に「世界三大ピアノ」があるのをご存知でしょうか? バロー文化ホール・大ホールにスタインウェイ製、小ホールにはベーゼンドルファー製のグランドピアノが置かれています。そして、もう一つは、アートスペース・ホリエのベヒシュタイン製のグランドピアノです。
そして、世界的に名高いピアノによる演奏や著名な音楽家によるコンサートなどを開催しているのは、堀江さんが主導している「一般社団法人 たじみ音楽でまちづくり市民協議会」です。まちづくりと音楽の親和性、演奏会に対する思いについて堀江さんにお話を伺いました。
「たじみ音楽でまちづくり市民協議会」を立ち上げた理由
大ホール、小ホールを中心にコンサートや合唱、演奏会などが開催されているバロー文化ホール。クラシックやポップスなどプロの音楽家によるコンサートが数多く行われています。たじみ音楽でまちづくり市民協議会は、バロー文化ホールを中心に2019年から「たじみ中之郷音楽祭」を開催しています。まずは団体立ち上げの経緯について伺いました。
―堀江さんが立ち上げた「たじみ音楽でまちづくり市民協議会」について聞かせてください。
多治見のまちをもっと活性化したいというのが立ち上げの理由です。私は40年以上音楽事業をやってきた以上、音楽でしか物が言えないので、音楽でまちの活気を生み出そうと考えました。特に一生懸命取り組んでいるのは中心市街地の活性化です。バロー文化ホールなどでコンサートを行っています。
―「たじみ中之郷音楽祭」ですね。堀江さんは音楽祭の実行委員長もされています。
JR多治見駅の中心市街地は、明治の中頃から「中之郷村」と呼ばれる地域でした。戦後になってからその名前は使われていません。まちの歴史とともに中之郷という地名を何かに残すために「たじみ中之郷音楽祭」と名付けました。2023年は音楽祭で6回コンサートを開催しました。
―協議会では、市と連携し、JR多治見駅の通路に誰でも自由に弾ける「駅ピアノ」を設置しています。
協議会の要望に賛同した多治見市が2019年12月に設置許可してくださったものです。ピアノは我々で管理を行っており、いまは最低でも1年に1回は調律し、時々見に行って悪い箇所を直しています。いろんな人が演奏するので一般の家庭よりもアフターケアが必要ですね。そこまで覚悟をして、駅ピアノをホリエピアノ研究所が管理しています。
―駅ピアノを設置して終わりではないんですね。
各地の駅ピアノを観察しましたが、みんなアフターケアができない。絶対それではいけないと思い、多治見では調律を継続しています。でもこれは当たり前の話で、何も大げさにするようなことではないですよ。
東京での挫折を経て、調律師としての歩み始める
―堀江さんの生い立ちについても伺いたいです。多治見生まれでしょうか?
僕は1949年に可児市の広見で生まれました。今年で75歳になります。もともと音楽が好きでやっていたんだけど、当時は男性が音楽をやることへの偏見が強くてすごく難しかった。高校を卒業する年に音大の夏季講習へ行った時もカルチャーショックを受けました。僕はかなりピアノが弾ける方だと思っていたら月とスッポンなんですよ。東京にはとんでもない人がいっぱいいた。
―レベルが高い同世代と出会ったんですね。
そこでピアノ調律科の存在を知ったんです。僕は「このままでは音楽家として食っていくのは難しいだろう」と急きょ判断して、大学の事務局で調律科の話を聞きました。そこから月に1回、東京へレッスンに通い、国立音楽大学の調律科に合格できたのが始まりです。
―高校三年の方向転換から、調律師という生涯の仕事に結び付いたんですね。
卒業後は浜松のピアノメーカーに就職。1975年に多治見に移住し、40年以上ピアノの調律師として仕事をさせてもらっています。一匹狼で朝から晩まで仕事をして、年中休みはなかったけれど楽しかったですね。だから今まで辞める気は一切なかった。僕が65歳になって息子が継いだので、そこから新たに取り組んだのがまちづくりです。ずっと多治見にお世話になってきたから最後の奉仕として始めました。
人生の転機とも言える「多治見修道院コンサート」
―協議会を立ち上げる前から、多治見のまちづくりには関わっていたんですか?
多治見修道院でコンサートを行っていました。1978年に取り壊される運命にあった建物を、多治見青年会議所が立ち上がり、保存運動の一環として実行委員会を設立。1989年10月まで、延べ53回のコンサートが開催されました。僕がいまここにいるのも、修道院コンサートがあったからと思えるほど大きなものを得ました。
―多治見修道院コンサートにどのように関わっていたんですか?
当時は、クラシック音楽の演奏家が地方に足を運んでコンサートを行うことは珍しかった時代です。一流の音楽家に声をかけることから始まり、コンサート企画やピアノの調律を、毎回ボランティアとしてお手伝いさせていただきました。修道院は音の響きがすごく良くて、独奏やデュオなど日本中の演奏家が毎月のように素晴らしいコンサートを行っていました。この経験は、僕にとって天から授かり物を頂いたような感覚でしたね。
―堀江さんの人生にとって大きな転機となったんですね。
そうです。伊勢湾台風の雨で音が出なくなっていたパイプオルガンも、多治見青年会議所で資金を出し合ってドイツから技術者を呼びました。1ヶ月半ほど滞在してもらって修復したおかげで、今でもパイプオルガンが演奏できています。これらの事業によって、現在も多治見修道院は保存されていますが、11年間続いた多治見修道院コンサートのことを知る人は少なくなってしまいましたね。
世界三大ピアノがある多治見で、まちと人を育てる
―40年以上前から多治見で音楽を広げる活動をしていたんですね。現在はどのような取り組みを続けているんでしょうか。
まず20年ほど前、僕の事務所に「アートスペース・ホリエ」という約100㎡のホールをつくりました。地域の皆さんに、身近な空間で“本物の音楽”を楽しんでもらうためです。ここでは、いままで150ほどのコンサートを開催しています。
―ホールには、ドイツのベヒシュタイン製のグランドピアノが置かれています。
多治見には「世界三大ピアノ」があります。バロー文化ホールの大ホールにスタインウェイ製、小ホールにはベーゼンドルファー製のグランドピアノ……こんな最高峰のピアノがあるんだったらと、アートスペース・ホリエにはベヒシュタイン製のグランドピアノを設置しました。そこから市にも許可を頂き「世界三大ピアノのある街」と発信しています。まちの人に、一流の楽器と演奏家による本物の音楽がどれほど素晴らしいかを知ってほしかったんです。
―世界三大ピアノが地域にあるのは、珍しいことなのでしょうか?
個人で所有している人はいますが、市民の皆さんに聴いてもらえる公共施設に世界三大ピアノを持つ市町村はほとんどありません。特に文化ホールのベーゼンドルファーは日本では数が少ない上、ウィーンの名ピアニストであるパウル・バドゥラ・スコダの自筆サイン入りの希少な逸品があります。しかも、多治見の公民館は全てグランドピアノが置かれています。多治見は音楽をやるのにすごく恵まれた環境なんですよ。
―恵まれた環境を活かして、一流のコンサートを行うことで多治見のまちを盛り上げているんですね。
アートスペース・ホリエもそうですが、汗まで飛んでくるぐらいの距離で生音が直に聴けて、演奏する人の仕草を目の当たりにできる空間があります。だからこそ、コンサートを行う演奏者や音楽家、まちにいい人を育てることも、まちづくりの大きな目的です。
―多治見で、どんな音楽家が育ってほしいですか?
いつも音楽家には「上手い、下手は問わない」と伝えています。ただ、音楽を自分のものにしようとして勉強しているかが一番大事。その人にとって最高のレベルで演奏してくれればいい。人の前で演奏するのは並大抵の努力ではできません。下手であっても、一生懸命そこまで勉強してきているかどうか。
―音楽を自分のものにするための姿勢が大切なんですね。
だからこそ、地域の人がもっと活躍できる場を提供するのが地方の音楽文化の基本だと思います。加えて、いまは、名古屋近辺から多治見に音楽を聴きに来ていただくための施策をどんどん打っています。1年に1,000名コンサートに来てもらうのが目標で、昨年までにトータル6,000名は訪れています。全国から音楽を聴きに来たいと多治見に足を運んでくれているんですよ。
―音楽を聴くために多治見へ足を運ぶ人が増えているんですね。
音楽は、打ち上げ花火ではいけない。パーッと盛大にやって1年後、ではダメ。良いものを分かってくれる人につなげていかなくてはいけない。そうすると人が人を呼ぶようになり、最終的には多くの人が集まって活気が生まれるようになる。時代がどうなっていくか分からないからこそ目先のことばかり考えず、時間をかけてやっていけるなら音楽は絶対負けないと思っていますね。いまの取り組みを続けていく。やれることをやるだけですね。
【住所】多治見市前畑町2-46
【電話】0572-23-8402