まちの対談 【KNOT】 vol.2 前編 新町ビル・水野雅文さん×陶芸作家・小平健一さん
2019年9月にオープンした「新町ビル」。ぎんざ商店街のほど近くに建つ築50年の古ビルが再生され、やきものと文化の発信拠点としてまちに影響を与えています。
今回は、12月2日から新町ビルで個展を開催している陶芸作家・小平健一さんと、新町ビル4階「地想」の店主・水野雅文さんの対談を実施。50歳から陶芸作家として新たな活動を始めた小平さん、そして一年がかりで個展に向けて制作に伴走した水野さん。「作り手×店主」という二人の関係性から紐解きます。
見たことのない景色を、誰かと一緒に見たい
岐阜県瑞浪市出身、大学進学を機に名古屋で15年間暮らした後、多治見に移住。名古屋では海外の古着やアパレル、アンティーク雑貨を取り扱うショップで販売・企画に携わっていた。
―現在、新町ビルで開催している小平健一さんの個展「bird town」。この個展に向けて、小平さんを一年がかりでマネジメントしてきた水野さん。セレクトショップの店主が作家を長期でサポートする取り組みは珍しいかと思います。どんなきっかけで始まったんですか?
水野: 22年10月に企画した二人展で小平さんが初めて新町ビルで展示を行って、その展示直後に話したかな。
小平:マネジメントと言ってもスケジュール管理とかではなく、インスタを中心とした伝え方や作品の撮影などのサポートをしてもらっています。
―プロジェクトの案として、水野さんから声を掛けた?
水野:……強いて言うなら相思相愛というか。笑
小平:前回の展示後、水野くんから「このまま小平さんが2回目の展示をやったとしても、普通に進めたら来る人も売上も下がるじゃないですか」と言われて。初回は知り合いがたくさん来てくれた認識があるし、そりゃそうだと。何かしないといけない感触はあった。
東京都板橋区出身。多治見市意匠研究所を卒業後、土岐市の窯元でやきものの生産、営業、開発、全般に従事。50歳で独立し作家活動を本格的に始動した。今回は、妻の薫さんが営む三笠町のカフェ・茶菓小にて取材。
―次の展示を見据えていたんですね。
小平:僕は、売上が目標って話は好きじゃない。売上はイメージや感覚的目標の達成度の数字的表現と捉えています。だから売上=評価は近似値だと思っている。だけど「インスタのフォロワー増やすという目標はどうですか?」という話だったから、水野くんからの提案はすごく腑に落ちた。
―売上目標ではなく、インスタグラムのフォロワー数。
小平:同じ数値目標でも「たくさんの人に見てもらう=売上」じゃなくて、「興味を持ってくれる=フォロワーが増えること」を一つの目標とするのは良いなと思えた。
水野:要は、僕が作家の担当みたいな感じ。「こういうのを作った方がいいんじゃないですか?」という話もするし。
小平:漫画家と編集者みたいな関係だよね。
水野:そうそう。笑
―これまでも水野さんが作家に伴走する動きはあったんですか?
水野:常に作り手に対して伴走する意識でいるけれど、ここまで深く取り組んだのは初めて。深く、と言っても僕のカラーは出さない。あくまで引き出す作業です。
―さらに遡って、水野さんが小平さんの作品に注目したきっかけは?
水野:2年ほど前に共通の知人の陶芸家が、インスタのストーリーズに小平さんの作品をあげていたのをたまたま見て。すぐ小平さんに「今度見せてください」と連絡した。以前から飲みに行くことはあったけれど、その時に初めて踏み込んで話したいと伝えたかな。
小平:その時に、俺がやきものを作っていると初めて認識したぐらいだよね。
―SNSでキャッチして、作家としての接点が生まれた。
小平:僕は20代で意匠研に入って、土岐の窯元に就職してからも個人の制作はずっと続けてきた。誰にも求められていなくても、自分の中から湧き出てくることに耳を傾けて作っている。それが見つかっているか、見つかってないかだけの話だった。僕の営みの中で必ずやっていた制作が、環境や気分が変わったから作風が変化して、多治見に引っ越したから友だちがよく出入りするようになって、そういうきっかけで見つかるチャンスが生まれた。
水野:そうですよね。あのタイミングだった。
小平:見つかるとなるともっと見つけてほしい、という気持ちがそこで初めて生まれたよね。
自分に耳を傾けて、25年。作り続けた先にあるもの
―水野さんが小平さんと深く取り組もうと思った理由は?
水野:まず一つあげるなら、小平さんは長年やきもの産業に従事していて、地元では知り合いが多くて有名。とはいえ作家としては無名。このバランスがすごく面白かった。小平さんの作品を知っている人は地元でも少ないし、全国的に見たらほぼゼロ。自分で「遅れてきたルーキー」と言っているけれど、50歳デビューの作家なんて付き合いたくてもなかなか出会えない。
小平:笑
水野:その人がすぐ近くにいて、人間的にも作品も好きだと思えたから、どうにかしたいと思ったんだよね。
―人間性と作品、どちらにも惹かれたんですね。
水野:僕の中には「見たことのない景色を誰かと一緒に見たい」という最大のテーマがある。小平さんは鳥とともに羽ばたいていける。どこまで行くのか見てみたいと思った。
小平:なるほどね。
水野:20代の若手作家をプロデュースする感覚とは違う。酸いも甘いも経験してきた小平さんが作品を生み出し、これからどうなってくんだろう?という興味しかない。だったら、僕がもっと引き出したり、もっと世の中に伝えたりできるはず。僕一人だけの力では限りがあるから、新町ビルスタッフでもある加藤美岬に写真をお願いして、一年がかりでチームとして動いてきました。
―自分の制作で、チームとしての関わりが生まれることに迷いはなかったですか?
小平:迷いはない。でも、そんなありがたいことが起こるなんて思ってなかった。自分が作りたいものを作り始めたばかりだったから、これが商売になるかどうかも分かってなかったし。だけど、この先ずっと作れるといいなとは思っていた。
水野:そうですよね。
小平:これまでやきものの仕事しかしてきてないけれど、自分の作品を朝から晩まで作って商売になるかどうかは半信半疑だった。明確なビジョンがない中で「水野くんがそう言ってくれるってことは、もうちょっと本業的にやっていけるかも」と思えたんだよね。
水野:本人が何を思い考えているかは絶対に大事にしています。「俺が売れるようにしてやる」みたいな感覚はない。「これからどうしていきたいですか?」と聞くし、一緒に積み重ねていったものを展示の結果として出せるようにしましょう、みたいな話をしています。
小平:僕としては「どう思う?」と聞いていい相手がいるのが本当にありがたい。
水野:この取り組みで圧倒的に良かった点は、物理的距離が近かったこと。ここまでの関係性は他エリアのお店では築きにくい。これは新町ビルが産地に根を張る意味だと思う。
小平:そうだね。
水野:何かあったら工房に行って、物を介して話ができる。どれだけオンラインが発達していても、物を直接見られるからすごくリアリティがある。
小平:新町ビルとうちの工房は歩いて10分くらい。「ちょっと話したいです。夕方いますか?」と連絡してすぐ打合せができる距離感。こんなありがたいことはない。
水野:これは特別だし、産地ならでは。
多治見で「新町ビル」を始めた理由
―新町ビルの始まりについて伺いたいです。水野さんは、名古屋で13年勤めてから多治見でお店を開いたんですよね。
水野:名古屋に15年住んで、前の会社で13年間働いてから、いまの場所で花山くん(新町ビル2階「山の花」のオーナー)とともに自分のお店を始めました。新町ビルでは、東海地区で見られないものを見せたい気持ちがある。他地域から来た人に「多治見すごい!」と感じてほしいし、何かを持ち帰ってほしいという気持ちはセレクトの中にも反映されているかな。
―なぜ経験を積んだ名古屋で出店しなかったんですか?
水野:自分のお店をやるなら、とにかく「産地」がいいと決めていた。物を作っている人たちと改めて生きていきたいと考えていて。
小平:もしかしたら、やきものじゃなくてもよかった? たとえば繊維とか。
水野:そうかもしれないですね。だから引っ越し先は一宮と多治見で迷ったんですよ。
―毛織物の産地である愛知県一宮市も候補だった。
水野:そう、一宮でお店を始めていたら繊維が中心の仕事になっていたでしょうね。でも20代の頃からやきものや作家の存在に興味があって多治見にしました。
―産地がテーマとなった理由は?
水野:産地で自分が担える役割があると確信していたから。作家やものづくりをしている人たちが必ずしも何かを伝え、広めていくことが得意ではないのは前職の経験で感じていた。自分の能力を発揮できる場所は産地だと気付いて、ものづくりの精神がアイデンティティとして根付くまちに行こうと思いましたね。
後編は、新町ビルの在り方を深掘りします。「作り手」「店」の役割とは?そして、小平さんの個展について二人の対話を続けます。
ken koda pottery「bird town」
【会期】2023年12月2日(土)~12月18日(月)
【場所】新町ビル 3階(多治見市新町1-2-8)
写真:加藤美岬