【歴史】 多治見の文化に思いを馳せる歴史的建造物や資料館
数多くの歴史文化をもつ多治見。南北朝時代の太平記に登場する多治見国長、虎渓山永保寺、西浦焼など、市内には人・建築・やきものにまつわるさまざまな物語が息づいています。サクラや紅葉の名所でもあるスポットや国宝の建造物、当時の時代背景を垣間見る史跡などを紹介します。
目次
● 虎渓山永保寺/虎渓山町
● 多治見修道院/緑ヶ丘
● 池田町屋郷土資料館 /池田町
● 西浦庭園 石心参禅蔵/御幸町
● 文化財保護センター /旭ヶ丘
● 多治見国長邸跡/新町
● 野村作十郎の建築
四季折々の景色に癒される名刹 虎渓山 永保寺
鎌倉時代(1313年)に開創された、小高い虎渓山に佇む禅寺。正式名称は臨済宗南禅寺派 虎渓山永保寺。「虎渓」の名前の由来は、夢窓疎石がこの地を訪れた際、中国 蘆山の虎渓の風景(現在は世界遺産)に似ていたことに由来すると言われています。
鎌倉末期に建てられた「観音堂」と「開山堂」は国宝に指定され、池泉回遊式庭園は国の名勝に指定されています。11月下旬には樹齢約700年の大銀杏をはじめとする紅葉が見事で、市民や観光客を魅了。毎年3月15日には収蔵してある貴重な文化財や史料の一般公開が行われます。
2003年の火災で本堂と庫裡が全焼しましたが、再建を願う市民を中心とした募金活動によって2007年に庫裏が、2011年6月に本堂が、以前と同じ姿で再建されました。また2011年より、国宝観音堂内や境内を使った「禅式結婚式」を行っており記念に残る特別な式を挙げることが出来ます。
【住所】多治見市虎渓山町1-40
【時間】7:00~17:00
【アクセス】多治見駅北口から東鉄バス・小名田線「虎渓山」下車 徒歩5分 もしくは、多治見駅から徒歩約30分
【電話番号】0572-22-0351
【その他】団体拝観(10名以上)には申請が必要です。申請書は永保寺HPからダウンロード可能。団体様の受け入れを制限する日があるので、永保寺へ直接ご確認ください。雲水の修行の場のため、マナーを守り見学してください。
日本で唯一、ワインを醸造していた修道院 神言修道会 多治見修道院
1930年(昭和5年)にドイツのモール神父により、日本の修道士の養成を目的に建てられた修道院。中世ヨーロッパを思わせる外観、ステンドガラスや壁画が美しい大聖堂、緑にあふれる庭が一般公開されています。
また、3000坪もの広大な畑で育てられているブドウは、醸造された後に「修道院ワイン」となります。設立当時からミサで使うためにブドウ栽培をしていて、多治見産のワインとして広く親しまれています。ワインは売店で買い求めることもでき、毎年11月3日は「多治見ワインフェスタ」も開催しています。
※聖堂内の見学は事前にお申込みをお願いします。行事と重なると見学できませんのでご了承ください。
【住所】多治見市緑ヶ丘38
【時間】9:30~15:30(日曜はミサの為11:00~)
【定休日】月曜
【アクセス】多治見駅南口から ききょうバス・オリベ観光ルート「修道院」 下車(土日祝のみ運行)もしくは、多治見駅から徒歩約20分
【電話番号】0572-22-0700(カトリック多治見教会 0572-22-1583)
【その他】マナーを守り見学してください
下街道の宿場町の面影を訪ねて 池田町屋郷土資料館
かつて池田町は、土岐市―多治見―勝川(愛知県)―名古屋を通る下街道の、美濃南端の宿場町でした。旅籠や茶屋などが並び、江戸や信州からの伊勢参り客でにぎわいましたが、明治33年に鉄道(中央線)が開通し、衰退しました。地域の歴史を後世に残すため、民家を資料館に改築して、収集された郷土の民具や歴史資料を展示して紹介しています。
【住所】多治見市池田町7-85
【時間】10:00~16:00 水、土、日のみ開館(但し祝祭日が重なった場合は閉館)
【アクセス】多治見駅から東鉄バス・県病院線「県病院口」下車後 徒歩約10分
【電話番号】0572-23-4841
【その他】団体受付は事前予約制
明治時代に栄えた幻の西浦焼 西浦庭園・石心参禅蔵
「西浦庭園」は、明治13年に明治天皇が伊勢への巡幸の道中に、当時多治見で栄華を誇っていた西浦家にお泊りになった行在所跡です。西浦家は、幕末から江戸、大阪に店をもち、手広く美濃焼の販売を行っていました。西浦家の離れ座敷に泊まられた天皇のために、座敷に岐阜提灯と優れた陶磁器を飾りつけ、庭にホタルを放って厚いもてなしをしました。天皇の巡幸を期に下街道が整備され、川に橋が架けられ多治見が発展するきっかけとなりました。現在、保存会により庭園は美しく整備されています。
隣接する「石心参禅蔵」は、西浦家の古い土蔵を改築した西浦焼の資料館。西浦焼の江戸支配人だった熊谷東州が石門心学に造詣が深かったことから名づけられています。西浦焼として当時高く評価された手描きの染付けや、色鮮やかな黄磁の器が展示されています。また2階には、訪れた人が自由に座禅をくむことができる「禅定の間」があり、静かな時間を過ごせます。
【住所】多治見市御幸町3-11
【時間】9:00~17:00 ※石心参禅蔵は日曜のみ開館
【アクセス】多治見駅から徒歩15分
【その他】団体受付は事前予約制
多治見の文化財と埋蔵品の保護 文化財保護センター
古墳時代から陶磁器が焼かれていた多治見。文化財保護センターでは、遺跡や陶磁器の窯跡から出土された埋蔵文化財を保護し、それらを紹介する企画展を行っています。虎渓山永保寺に保存されている指定文化財などに関する講演会や発掘調査の現地説明会も開催しています。また、子ども向けにやさしい言葉で解説された「多治見の文化財ジュニア版」を発行して販売しています。
【住所】多治見市旭ヶ丘10-6-26
【時間】9:00~17:00
【定休日】土曜、日曜、祝日、年末年始休み
【アクセス】多治見駅北口から東鉄バス・緑ヶ丘線 または、桜ヶ丘ハイツ線「美濃焼団地前」下車
【電話番号】0572-25-8633
【その他】団体受付は事前予約制
鎌倉時代末期を駆け抜けた多治見の武将 多治見国長邸跡
多治見国長(正応2年-正中元年・1289-1324)は、美濃国(岐阜県南部)の守護・土岐頼貞(ときよりさだ)の同族。後醍醐天皇の鎌倉幕府討伐計画に参加するも、一族の妻の密告により計画が発覚します。国長公の京都の宿所は六波羅探題の軍勢三千余騎により包囲されますが、わずか20人で勇敢に戦った末に非業な最期をとげました。これを「正中の変」といい、「太平記」などにも記されています。
現在も、新町に位置する「ぎんざ商店街」の一角に残る「多治見国長公遺址」。かつては国長公の屋敷がここから西南に縦横100m程あったといわれています。明治13年の明治天皇巡幸の際に、遺跡として保存するために小さなほこらを建てて、霊を祭ったそうです。
【現在も残る国長公の面影】
・多治見まつり…毎年11月3日に開催。武者行列では市長扮する国長公の他、土岐一族も揃って市内を練り歩きます
・国長橋…昭和35年に土岐川に架橋された橋の名前。地元陶芸作家によるオブジェが飾られています
・多治見市の市章…桔梗の花は土岐氏の家紋で、多治見氏の紋所でした
・国長公の腰刀…後醍醐天皇から授かったという腰刀が、重要文化財として京都国立博物館に保管されています
■多治見国長邸跡
【住所】多治見市新町 ぎんざ商店街の広場の隣
【時間】常時開放
【アクセス】多治見駅から徒歩約10分
郷土が誇る宮大工 野村作十郎の手掛けた建築に触れる
江戸時代に東濃の下街道・池田宿(現在の多治見市池田町)の材木屋に生まれた野村作十郎(文化2年-明治4年・1815-1871)。堂宮大工として、東濃を初め各地の寺院仏閣建築や彫刻を手掛け、その腕が見込まれ安政3年には京都御所門、二条城唐門(現在の国宝)の再建を任されます。
この業績が認められ、また優れた技量や人格をもって、京都御所 岩倉殿役所より「従五位装束(許状)」を拝領します。以降、従五位上“野村杢頭國みつ(のむらもくのかみくにみつ)”として多数の神社仏閣を手掛けますが、無欲だった芸術家・作十郎は決しておごらず、弟子とともに永泉寺本堂を修復再建させた翌年、57歳でその生涯を閉じるまで木と向き合い続けました。
【野村作十郎が手掛けた主な建築】
〈多治見市内〉
・虎渓山永保寺 観音堂・開山堂(共に国宝)の再建、六角堂の再建、無際橋の改築(虎渓山町1-42)、普賢寺 (大原町9‐32)、多度神社(平和町1)、廿原神明神社(廿原町中之洞228-1)
〈市外の近隣地域〉
・内津妙見寺(春日井市)、愚渓寺(可児郡御嵩町)、妻木八剣神社(土岐市)、鵜沼観音堂(各務原市)